ネクスト・ソサエティと聞いて
皆さんはどんな社会をイメージされるでしょうか?
内閣府のホームページにはSociety 5.0が提唱されています。
狩猟社会(Society 1.0)、農耕社会(Society 2.0)、工業社会(Society 3.0)、情報社会(Society 4.0)に続く、新たな社会を指すもので、第5期科学技術基本計画において我が国が目指すべき未来社会の姿として初めて提唱されました。
(https://www8.cao.go.jp/cstp/society5_0/society5_0.pdf)
動画での紹介もあります。
一般的な未来社会のイメージなのでしょうが、
こんな社会に私はワクワクしません。陳腐に感じてしまいます。
皆さんはいかがでしょう?
それとは全く違ったネクスト・ソサエティを予見した人がいます。
現代マネジメントの祖、ドラッカー博士です。
効率よく価値を生み出す組織、
すなわち現代の会社スタイルを完成させた人とも言えるのでしょうが、
その彼が最終的にたどり着いた理想の組織、社会は、
非営利組織(以下、NPO)とそれが跋扈する社会です。
彼の著作『非営利組織の経営』(1990年)の序文には
「アメリカ人の二人に一人が週3時間ボランティアとして働いている」と書かれています。
今から30年以上前のアメリカでは、
二人に一人がボランティア活動に関わっていたことにまず驚かされます。
さらに、その時間が年156時間にも及んでいて、
ひと月の所定就業時間に匹敵している点にも驚きを隠せません。
アメリカ人の働き方が大きく変化していることを感じます。
これまでの私のアメリカ人のイメージを一変させる事実です。
アメリカ社会の先進性と底力を思わされました。
博士が後年、NPOや資本主義経済を超えるものに関心を寄せたのも
新しい風を敏感に捉えてきたからなのでしょう。
こうした現象はアメリカのみならず、他の先進国でもみられています。
日本ではNPOなどの非営利組織活動は低調な印象がありますが、
鳩山内閣の「新しい公共」、岸田内閣の「新しい資本主義」をみても
社会の根底に同様の潮流があることが分かります。
第274話で新しい資本主義について書きましたが、
その議論が日本で盛り上がっていないのが残念でなりません。
https://minnadekenko.com/social/274/
ガルブレイス著『豊かな社会』(1958年)が紹介されています。
豊かな社会とは、金持ちが多い社会でも金持ちがさらに金持ちになる社会でもありません。
過半の者が金銭的な安定を享受しうる社会のことでした。
しかし、本書の主張はそれを超えています。
ネクスト・ソサイエティにおいては
金銭的な安定よりも遥かに重要なこと、
すなわち自らの社会的な位置づけと豊かさを実感することが求められる
と明言しています。
若いうちに非競争的な生活とコミュニティをつくりあげておかなければならない。コミュニティでのボランティア活動、地元のオーケストラへの参加、小さな町での公職など仕事以外の関心事を育てておく必要がある。やがてそれらの関心事が、万が一にも仕事に燃えつきたとき、貢献と自己実現の場を与えてくれることになる。
これは仕事に燃えつきたときの救済のためだけではありません。
人生100年時代においては仕事中心の生活を卒業する日が必ずやってきて、
しかもその後の期間が益々延長すると予想されるからです。
ネクスト・ソサイエティは、まず先進国で立ち現れるでしょう。
先進国は軒並み超高齢社会であり、先の人々で溢れかえる社会です。
必然的にその社会での総活動量に占める非営利のそれの比重は高くなります。
当然、若い世代の非営利活動も加わりますから
社会の有り様も自ずと変容するはずなのです。
リードに紹介しましたが、
ニューエコノミーとネクスト・ソサイエティは全く別物と捉えるべきです。
多くの人のポスト・コロナ社会のイメージはニューエコノミーなのだと思います。
私たちにとって最も大切なのは、経済なのか、社会なのか?
冷静になって考えれば、答えは明らかです。
大事なのは社会のほうです。
私にとってのネクスト・ソサイエティは
第44話で紹介した宮沢賢治氏の「億の巨匠が活躍し共存する社会」です。
http://tunagaru.org/akiyama-essay/44
ドラッカー博士のネクスト・ソサイエティに同意します。
ネクスト・ソサイエティは与えられるものではなく、
私たち自身が、自らの力でつくりあげていくものです。
コロナ禍がネクスト・ソサイエティ実現を加速させたと思います。
20年以上前の書ですが、
今そこ、知の巨人の洞察に学ぶべきでしょう!
(2022年4月20日 )