音楽の癒しのチカラ 心の垢を洗い流そう!

Story 31

前回の原稿を書いたのは、2020年の4月でした。2020年になって新型コロナウイルス感染が拡大し、緊急事態宣言が出された頃でした。「この原稿が活字になるころには、感染拡大に歯止めがかかり、少しでも平和が戻ってきていることを祈るばかりです。」と記しました。全文を今読み返すと、屈託のない、我ながらとてもチャーミング?な原稿になっていました。そして、今回のこの原稿も、もっとポジティヴな内容を想定しておりました。今、この原稿を書いているのは8月。あれから4か月…。国内でも、また、世界的にも、いろいろな変化がありましたね…。そして、残念ながら、いまだ平和は戻ってきていません…。

当時…、ワタクシ自身は、緊急事態宣言が出されたことに驚きを禁じえませんでした。テレビに出演しているコメンテーターの方々は、「なんで早く緊急事態宣言を出さないんだ!?」と連呼していましたが、海外のロックダウンのように、自由が奪われるのは耐えられないとも思いました。しかし、ゴールデンウィークを含め、1か月以上にわたって、国民全体で外出自粛などをしていただいたおかげで、いったんは感染者が激減したことは確かです。そうした意味では、緊急事態宣言は決して無駄ではなかったと思います。ただ…、県をまたぐ移動などが解禁されると、再び、あっという間に感染者数が増加しました。いったんは感染者が減少しても、きっと秋、冬には再燃するのかなとは思っていましたが、7月、8月からこれほどの感染者が出たのは、やはり驚異でした。この新型コロナウイルスは、なんでこんなにしたたかなんでしょうか…?

この8月、自分の住む沖縄では、人口あたりの感染者数が全国トップとなりました。高齢者の方々のクラスターも発生し、テレビなどで、感染した高齢者が治療中に命を落とされたという情報が連日報道されました。沖縄以外にも、医療崩壊寸前の地域もあるでしょう…。この瞬間にも、全国でコロナウイルス感染症と闘っている患者さん、ご家族、医療・介護従事者のみなさん、保健所職員のみなさん、市民生活を支えるためにお仕事を続けているみなさん、今年は、本当につらい1年ですが、何とか頑張って乗り越えましょう! コロナウイルス感染症と直接最前線で闘っているみなさんはもちろんですが、コロナウイルス感染症を拡大させないために細心の注意をはらって業務を行っているみなさんのつらさも、筆舌に尽くしがたいものだと思います。

「つらい」といえば…、現在、つらい気持ちでいるのは、先に挙げた方々だけではないはずです。先の見えない不安を抱えて、世界中の本当に多くの人がつらい気持ちでいるのではないかと思います。まったく何の悩みもなく生活しているようにみえても、深い悩みを抱えている人も少なくありません。

誰かがつらいとき、音楽は、人を癒したり、元気づけたりすることができるのでしょうか? 1つの可能性は、テンションの上がるアップテンポの曲や、晴れやかなメロディーを聴くことで、気持ちを切り替えることができるということです。晴れやかさといえば、ワタクシはやはりモーツァルトがすば抜けていると思っています。例えば、交響曲第31番『パリ』など。これは、22歳のモーツァルトが、「パリで一発当ててやろう!」と、意気込みたっぷりで書いた作品です。冒頭から全オーケストラが一斉に演奏したり、第3楽章では、弦楽器の早弾きなどもあって、聴いていて、知らず知らずのうちに憂うつな気分も吹き飛ぶかもしれません。

クラシック音楽のなかにも、「闘魂」というか、すさまじいエネルギーを注入されるような音楽があります。ワタクシは、1980年に指揮者のカール・ベームとウィーン・フィルハーモニーが来日したときの、まさに衝撃的な経験が忘れられない古〜い世代なので、どうしてもベームが好きで好きでたまらないんです。ベームはいくつもの伝説的な名演を残しているのですが、ベーム自身、「自分の最高の演奏」といっていたのが、1975年東京でのブラームスの交響曲第1番です。DVDで観ることができたのですが、今は廃盤のようです…。以前は、YouTubeでも見かけましたが、今はどうでしょう? この演奏、とくに最後の2分くらいがものすごくて、ふだん「自分は、指揮しても、汗ひとつかかない」と豪語しているベームが、どんどん白熱していく様子がみられます。コーダの部分の「眼ヂカラ」は、まさに鬼気迫る感があります。そして演奏が終わったとき、ベームが大きく息をして、えもいわれぬ表情を浮かべます。音楽の持つエネルギーを改めてかみしめているような表情です。ベームはこのとき81歳。この作品を、すでに何百回も演奏しています。そんなベームですら、我を忘れるくらいに奮い立たせる音楽のチカラは、やはり「恐そるべし」だと思います。

音楽の癒しには、もう一つの可能性があります。それは、とことん傷ついてしまった心に、静かに寄り添うということです。つらいことがあっても、自分のなかにエネルギーが残っていれば、元気を出して戦うことができるでしょう。しかし、とことんまで傷ついて、戦うエネルギーもなくしてしまったときには、励ましてくれるような音楽や、元気づけてくれるような音楽は、むしろ逆効果です。

以前、『認知症の音楽療法』という原稿を書かせていただいたときにも解説させていただいたのですが、音楽療法では、同一性の原理(isoprinciple)という考え方があります。例えば、気分が塞ぎ、憂うつなときには、その気分に近いメランコリックな音楽を聴くことで、心を開き、リラックスすることができるといわれています。

以前、音楽評論家の吉田秀和氏が、「自分は、妻に先立たれたとき、もうバッハしか聴くことができなかった。」というようなことを語っていました。なかでも、『平均律クラヴィーア曲集第2巻』のような作品が心に入ってきたそうです。ワタクシのような素人が、うかつにも「吉田秀和氏」なんていうと、音楽関係者のみなさまから、大変なお叱りを受けてしまうかもしれません…。「吉田秀和先生」でしょうか? いや、それでも申し訳ないくらい、同じ吉田でも、吉田違い…、日本の音楽界を育てた、それはそれは大先生なのです。その吉田秀和先生は、な、なんと、『汚れっちまった悲しみに』の中原中也からフランス語を習い、『モオツァルト』を書いた小林秀雄とも親しかったそうです。すごい経歴! ウィーンやベルリンでも活躍した指揮者の小澤征爾も、若い頃、吉田秀和先生のもとで学びました。NHK-FM放送で、約40年にわたって『名曲のたのしみ』という番組を担当され、そのなかでは、モーツァルトが5歳から35歳で亡くなるまでに作曲した900曲近い作品を、始めから終わりまで、何年もかかってすべて聞き通すという、ケタ違いの試みもされました。あらゆる作曲家、演奏家の解説、評論を執筆され、「わが国における音楽批評の確立」という業績により、1990年度朝日賞も受賞されています。そんな吉田秀和先生ですが、奥様を亡くされたとき、「モーツァルトも明るすぎ悲しすぎて、とてもきかれない。」と書き記されています。

バッハの音楽を聴いていると、励ますではなく、無理に元気づけるでもなく、嘆くでもなく、泣くでもなく、ただ静かに寄り添う、そういう側面を音楽は持ち合わせていることに気付かされます。自分の心が弱ったときも、バッハの音楽に幾度となく救われました。先日テレビで、イヴリー・ギトリスの弾くバッハの『シャコンヌ』が放送され、ふと聴いていたのですが、「はぁ〜、ここ、こう弾くんだぁ…」と聴いているうち、どんどんギトリスの演奏に引き込まれてしまい、最後には自然に涙が溢れてきました。ギトリスの演奏は、他のヴァイオリニストとはまったく違う、本当に真似のできないものです。静かに語りかけるようでいて、ところどころ、心に直接飛び込んでくるような強いフレーズが織り込まれます。変奏が進むにつれ、独特の「語り口」で紡ぎ出されるメッセージ。厚い雲の間から突然陽が差すようなニ長調の中間部は、自然とか、宇宙とか、人によっては神とか天使とか呼ぶのかもしれませんが、何か人間を超えた存在の声に耳を澄ますような趣きすら感じます。そして、再びニ短調に戻る部分。自分は、聴いていて、ふと現実に戻り、孤独のなかに放り出されるような感覚を覚えました。目の前の景色が一瞬に消え、ただ薄暗い空間に、独り取り残された、そんな感覚です。ニ短調に戻ってから、それ以降の部分を聴いていると、バッハが、「行き着くところ、みんな孤独なんだ。それでも、こうして生きていくんだ。」と語りかけてくるようにも感じました。たった独り、音楽と向かい合うバッハの後ろ姿が見えるようです。

ワタクシ…、いつも楽しそうにしているので、これまで、「ノー天気に楽しい人生を送っているんだろう」と誤解されることが多かったように思います…。しかし、これまでの人生、人並みにさまざまな悩みを抱えて生きて参りました。令和に改元された2019年5月1日、自分は、祝賀メッセージで、「平成が始まったとき、自分は、まだ、人生の暗いトンネルのなかを歩いていました。平成が終わり、みなさんとともに、明るい気持ちで来たる新しい時代、令和を迎えることができるのを、とてもうれしく思っております。」と記しました。暗いトンネルから、自分なりに必死に戦って、やっと自分の道を見つけ、歩き出すことができたと思いかけていたのです。しかし…、いま再び、暗いトンネルに送り返されたと思っています。いつか、この暗いトンネルを抜けることができるのでしょうか…。決して「令和」という年号が悪いわけではないと思いますが、このままでは「令和」は暗い時代…ということしか自分の心に刻まれないように思います。

無論、自分などよりも、もっともっとつらい人生を生きてきた方はたくさんいらっしゃいます。しかし、そうは思っても、生きているのもつらい…、やるせない…、どうしたらいいのだろう…、そんなとき、思い切って独りで泣いてみるのも「あり」ではないか…と思っています。声を出して泣くのではなく、ただそっと涙を流してみるんです。「そうだ、泣いちゃえ!」というとき、寄り添ってくれるのが、音楽です。自然と涙を誘うような音楽。聴いていて、なぜかジワッと涙が溢れてくるような、そんな音楽です。みなさんも、自分の心に寄り添う音楽、探してみてください。そして、ぜひ泣いてみてください。音楽と涙が、心の垢やささくれのようなものをすっきりと洗い流してくれるはずです。頬を伝う涙は、改めて、自分が生きていることを気付かせてくれるような気がします。そして、自分が大自然のかけらであるということをも教えてくれるようにも感じます。大自然の片隅で、とってもちっぽけだけど、与えられたひとつの命、今のこの瞬間、ひとときひとときをしっかりと味わって、時を過ごしていこう…。どうにもならないつらい時期が過ぎ去るまで、目の前のことをそのまま受け入れて、黙々と、粛々と生きていくしかないんだ…、そんなことを思っています。

今回は、とても暗い内容ですみませんでした…。次回は、いつものように楽しい話題をお届けできるといいなと思います。ステイホームなどでご自宅にワインを取り寄せる際のコツ、『お取り寄せワインはこうして選べ!』というテーマで書いてみたいと思っております。どうぞお楽しみに。


付録:これまでの連載で取り上げた癒しの音楽のリストをご紹介します。
『2つの悲しき旋律』より『過ぎた春』
ブラームス:間奏曲変ホ長調作品117-1
マーラー:交響曲第9番第4楽章アダージョ
フォーレ:レクイエムより『楽園にて』
シューベルト:ピアノソナタ第21番第1楽章
ムファト:『パッサカリア(シャコンヌ)』
モーツァルト:レクイエムより『思い出したまえ、慈悲深きイエスよ』
バッハの『マタイ受難曲』より『憐れんでください、私の神よ』
バッハの『マタイ受難曲』より『我らは涙してひざまづき』
カンプラ:『レクイエム』より『永遠の安息を与えたまえ』
カンプラ:『レクイエム』より『神の子羊』
モーツァルト:ミサ曲ハ短調K.427より『聖霊によりて』
ド・ラランド:『テ・デウム』より『あなたは人々を救うために』
チャイコフスキー:弦楽セレナードより第3楽章

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