幕末の会津の農村で起きたある事件を
当事者の子孫によって
丹念な現地資料の調査をもとにまとめ上げられた力作です。
『平六と族(やから)』


https://www.amazon.co.jp/平六と族-へいろくとやから-鈴木喜六/dp/4866414197/

この手の書にありがちな先祖を美化する点が一切なく、
人物の心理描写も卓越していたので
一気に読み進めることが出来ました。

他藩の武士の食糧調達のために責任者が自害するとは、
今日の日本社会では考えられないことでしょう。
しかし、これは幕末の会津に起きた事実です。
たった150年ほど前の出来事であり、
本人としても避けることができたらという想いはあったはずです。
「命を軽んじでいる」という批判は全くの的外れです。
たった一つの命をむしろ重んじていた時代だからこその行動と
それに続く民の反応だったのだと思います。

使命と書いて「命を使う」と読む。
これは大学院時代の恩師のコトバです。
主人公の丹羽 族(やから)は自身の命の
最も有効な使い道を考え抜いたのでしょう。
その決断力、胆力に圧倒されます。
39歳でした。
平和な時代に生まれた私ですが、
彼の人生から
一つしかない命をどう使い切るべきなのかを考えさせられました。

先の2021年8月15日、
76回目の終戦記念日を迎えました。
毎年この日に思うことは
特攻隊の青年たちのことです。
217話で、「彼らを駆り立てたのは陰徳の思想だったのではないか」と書きました。

217. 『永遠の0』映画論考

さらに進めて言うと
先の丹羽 族、特攻隊の青年たち、
さらに自らの命を世の中の為に返上して逝った数多の先達は皆、
ギフト体質の人々だったと思います。
ギフト体質は私の造語です。詳しくは第216話をどうぞ。

216. 『2020年6月30日に またここで会おう』書評

多くを語ることなく、沈黙を保てる人は多くはありません。
ギフト体質の人格や陰徳の精神は
そうした人々に宿ることが多いようです。

書評に戻りましょう。
丹羽 族の決断は後世への究極のギフトであった思います。
それは、当時の会津の人々だけに向けられたものではなく
時を超え地域を超え、日本中に世界中に、
否、人類全体に向けられていると思います。
本人の意図はどうあれ、私たちはそう受け止めるべきです。

こうした陰徳の出来事は、
ギフト体質者による
歴史に埋め込まれた至宝とも言えるでしょう。
それらが長い年月を経て発掘される時、
私たちに新たな深い教訓をもたらしてくれます。
当時以上の効能をもたらすこともあるでしょう。
著者も指摘していますが、
郷土史にはそうした宝を発掘するという至福があるようです。
そうした郷土史研究自体も後世への立派なギフトでしょうし、
陰徳の火を繋ぐことでもあります。
陰徳の精神は人間を介して継続させなければ途絶えてしまうものだからです。

安岡正篤氏の謂うところの郷学も同じでしょう。
公益財団法人 郷学研修所・安岡正篤記念館 のホームページからの引用です。

https://www.noushi-kyogaku.com/cont1/53.html

地方郷党(※2)の先賢(※3)を顕彰(※4)し、
その風土に培われている学問を振興して、
志気(※5)を振起することであり、これを「郷学(きょうがく)」という。  

歴史を繙くと、
民心が頽廃した時にこれを救ってきたものは、
中央の頽廃的な文化の影響を受けず、
純潔な生活を保っている地方郷村の志士の力であった。
この道理はいつの世でも変わりがない。  

このような意味から、常に郷党の先賢の事績を探り、
その人物学問によって
それぞれの郷里に確固たる信念と教養を持つ人材を養成することが
「郷学」の目的である。

※2 郷党…郷里を同じくする人々。 ※3 先賢…昔の賢人。 ※4 顕彰…埋もれていた善行・功績などを広く世間に知らせること。 ※5 志気…ある物事を行おうとする意気込み。

という訳で、
会津の農村に起きた一武士の行動に過ぎないと侮ってはいけません。
歴史を変えるような出来事であるかどうかは関係ありません。

本書は郷学の重要性を示し、
たった一つの命の使い道を再考させてくれる良書です。
ぜひ味わってみて下さい。

2021年8月18日

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