314.復活!スタニスラフ・ブーニン

2022年10月21日、NHK BS放映
「それでも私はピアノを弾く 〜天才ピアニスト・ブーニン 9年の空白を越えて〜」
を遅ればせながら録画で視聴しました。
ブーニンといえば、1985年のショパン国際ピアノコンクールで
史上最年少の19歳で優勝した天才ピアニストです。
日本でブーニン・ブームを巻き起こしたことから音楽ファンでなくても
その存在は知っているはずです(但し、昭和人限定)。

私は番組で知ったのですが、
世界中を演奏旅行していた彼が、
度重なるケガや病気によって9年間も音楽活動を中断していたのです。
最初、手指の酷使のせいでしょうか、左手が動かなくなったそうです。
左肩関節の慢性炎症による石灰化が原因のようです。
その後、転倒による左足の複雑骨折を負ってしまいます。
元々、1型糖尿病があったため、創傷遅延から壊死を起こしてしまいました。
世界中の医師に診断を仰ぎましたが、
もはや左下腿切断しかないと宣告されたそうです。
もし切断となればピアノの演奏はできなくなります。
後にも触れますが、音楽への深く激しい愛がその選択を拒みました。
執念によって、下腿切断を回避できるというドイツ人医師にめぐり逢います。

これも番組で初めて知ったのですが、
彼は大の日本贔屓で、奥様も日本人です。
ソビエトから亡命後の彼はドイツと日本の二拠点生活をしていたようです。
手術はドイツで、リハビリは日本で受けることになりました。
番組にはその間の奥様の献身ぶりが映し出されています。

手術は成功しましたが、リハビリは長かったようです。
下腿切断は免れましたが、
壊死組織を全て切除したことから左足が短くなってしまいました。
そのため写真のように超厚底の特製靴を履かなければなりませんでした。

また、足関節以下は残ったものの可動は不可になったため、
ピアノの足ペダルは大腿を動かして踏むことになります。
こうしたことから、リハビリに相当苦労したはずなのです。
日常生活をするレベルではなく、
世界的な音楽家としての演奏をも取り戻さなければならなかったのですから…。
9年間の復活への道のりはさぞ厳しかったことでしょう。

そんな彼が復帰を飾る最初のリサイタルに選んだ地は
長い間、リハビリに励んだ日本でした。
2022年6月25日(土)、八ヶ岳高原音楽堂で彼は復活を遂げました。
天才ゆえの妥協なき美への追求、苦闘ぶりも、
榮子夫人との二人三脚の美しい姿も
BS放送は私たちに伝えてくれました。

別日に、執念にも近い復活への原動力について聞かれた際の返答は
以下のようでした。

音楽はとても深く美しく、至高の美しさがあり、
私たち一人ひとりの心の琴線に触れるのです。
この音楽が、再び楽器へと私を引き寄せました。
再び音楽の美しさに触れたいと、思い始めました。
私の手で私の精神を音楽で満たしたかったのです。

上記は2022年7月18日 昭和女子大学人見記念講堂でのコンサートのワンシーンです。
公式のダイジェスト版が公開されていますので、
BS放送を見逃した方、是非どうぞ。

今回、ブーニンさんを通して
人間の素晴らしい復活劇を目撃しました。
「復活」はある意味、最初の成功を遂げるより難しいのかもしれません。
スケールの大小を問わず、私は「復活」が大好きです。

大変な状況に追い込まれながらも
美しいものを求め続けて復活を遂げるブーニンさんの姿に感動しました。
何ゆえ、私はそれほどまでに心を動かされたのでしょう?

美しいものを一途に求める心は、
それだけで美しいに違いないからなのでしょう。

(2022年11月23日 )

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