百夜百人Story01
老いと向かいあう
役者の仕事に入る前に身体を整えるために合宿をしていました。信州の山奥、南アルプスの自然に囲まれた大鹿村というところです。50代の頃から始めました。早朝の5時に起きて山頂まで登り、下りてくる。九十九折りの山道を600m一気に登る。2000m級の山で空気も薄い。それでも7時には下りてきて焚べていた風呂にちょうどいい湯加減で入る。そんな日々を50代から当たり前に過ごしてきました。
50代から60代、そして70代から80歳に近づくに連れて、そんな当たり前が当たり前ではなくなってきました。7時になっても帰り着かない。まだ山道を登っている。いつもだったらとっくに風呂に入っている時間です。引き返そうか、引き返すまいか悩んでいる。そんな自分がいました。基礎体力がすっかり落ちている。歳を取るとはこんな風になることなんだ。半分は納得しつつもう半分は別の自分を見ているような気持ちになりました。
若いですね、と言われますが若くはありません(笑)。自分を観察していると年齢というものに直面します。老いとはこういうものなのだと身をもってわかります。大切なのは老いを理解し、認識することです。心身の変化を自分にわかるように説明することです。すると「歳なんだから」とか「無理をしないで」という発想は無くなります。頂上にたどり着けなくなった自分に必要なものがわかってきます。今までと同じやり方で頂上を目指すのか、そうではなく身体に負担の少ないトレーニングを行うのか。その時の自分に合った方法を選んで、半分まで落ちたペースを2/3ぐらいに留めるようにします。これまでと同じにならないことを理解した上で必要な行動をとっていく。それが老いと向かい合うことだと思います。
健康を学び、考える
わたしは今、週に1回、時間をかけて千葉のつくばにあるデイサービスに通っています。認知症を予防する〝学校〟に出席するためです。そこで筋肉を意識して使い脳に伝える運動に取り組んでいる先生に出会いました。一連のストレッチを通して筋肉本来の働きを取り戻しながら、それを脳に記憶させていきます。自分で自分の身体を意識して考える。これは役者と同じではないかと思いました。役者は自分の身体を意識的に使い人物や感情を表現する仕事です。身体は自分で思わなければ動きません。意識的に動かすのですが観客からは意識していないように見えなければなりません。ある意味、条件反射です。野球の選手で例えればショートにボールが飛んできたときに、身体が反応してダブルプレーを取りにいく。試合の後に「彼女と食事に行こう」と考えていてもとっさの動きができる(笑)。運動の選手に備わっている反射神経は役者にも通じるものです。
こう考えると、健康は学んだり、考えたりすることで手に入れるものだと思います。自分の身体を観察し、そこに起こっている変化や状態を見極める。なぜそうなのかを考え、理解する。そうすることで人間は進歩するのだと思います。ですから学ぶことは大切です。新たな知識を取り入れようとする姿勢を持つことです。テレビや雑誌の健康情報でもそれを鵜呑みにするのではなく、なぜそうなのかを考える。保険薬局で薬を処方してもらう時でも服用の注意だけではなく、薬効や目的についても説明を受ける。健康を学び、考える時間を持つことで、もっとみんなが健康になると思います。
明治神宮
本記事の取材は山本學さんの毎朝の日課であるウォーキングにお邪魔する形で明治神宮で行われました。明治神宮は明治天皇と昭憲皇太后をお祀りする神社です。鬱蒼と茂った緑したたる常磐の森は、神宮御鎮座にあたり、全国から献木されたおよそ10万本を植栽した人工林です。面積は70万平方メートル、豊かな森に成長し、国民の心のふるさと、憩いの場所として親しまれています。
運動と栄養
健康に対する教育は大切だと思います。健康に不安を抱える年代になってからではなく、小学校や中学校の段階で健康に対して考える習慣を身に付けなければなりません。コンビニでスナック菓子にパンとジュースの食事では健康を養う身体をつくることはできないからです。運動と食事の正しい知識の必要性は切実に感じます。下町ロケットでは後半の撮影が大変でした。最近は大所帯のスタッフが一堂に泊まれる施設もありません。朝5時に自宅を出発して夜の10時まで撮影をして深夜に帰宅する生活を何日も繰り返していました。なんとか乗り切ることができたのですが、そのあとしばらく風邪をひいてすっかり体調を崩してしまいました。しかし、たまたま松戸で講演していた秋山和宏先生の話を聞いて、すぐに相談し取り組んでいたサバ缶と肉と野菜という食事の効果を感じたのです。運動と栄養を意識した生活をすることで基礎体力が養われていたのです。そのおかけで肺炎などの重症になることなく回復できました。
役者の仕事はいつ入るかわかりません。体調が悪いから「ごめんなさい」とも言えません。昭和30年代のテレビドラマの撮影は全て生撮影でした。盲腸になっても撮影があるから2日間だけ薬で散らして(笑)と言われる時代でした。ですから予防という考えは常にありました。監督のリクエストに応えられる身体を常に維持していなければなりません。よく人から頑固だと言われますが徹底してやる姿勢は身に付いています。自分で自分の身体をメンテナンスしていく。自分の主治医は自分ですから、そこは役者魂というよりは多くのみなさんに身につけて頂きたいと考えています。
山本 學
俳優。大阪府茨木市で生まれ東京で育つ。俳優座養成所(7期生)卒業後、1959年に劇団新人会へ入団、舞台からテレビドラマ、映画へと活躍の場を広げる。1993年に第18回菊田一夫演劇賞を受賞。テレビドラマでは医師役が多く『白い巨塔』で演じた内科医・里見脩二役は代表作の1つ。池井戸潤による小説で話題を読んだ下町ロケットでは三百年続く農家の12代目としてトノの父親役を熱演。映画「永遠の0」では老年期の武田貴則を演じている