28通目の手紙

世の中は新型コロナウイルスで大変なことになっています。読者の皆さんがこの文章を読まれている時には、きっと落ち着いていてほしいと祈っています。


さて函館に移住したのは1996年です。もう24年も経つんですね。今まで書いてきたように移住していろいろカルチャーショックがありました。私は一般消化器外科医ですから胃がんや乳がん、大腸がんとがんの手術、診療をしていました。大学を卒業して医者になった(1986年)頃は埼玉でも東京でもがん患者さんに『あなたはがんです』と告知することはあまりありませんでした。乳がんの方にはしこりはあるけれど悪性ではなくて、これから悪性になる可能性があるので手術しましょうと話して、乳房全体だけでなくその下の筋肉まで取る手術をしていました。進行した胃がんや大腸がんの方にも潰瘍やポリープはあるけど、進行がんではないので早めに取ってしまいましょうって感じでした。それで勃起不全や排尿障害になっても仕方ないって言われて、みんな納得されていた不思議な時代ですね。今の若い人たちには理解できないでしょうね。


でもそれから5年もすれば患者さんに告知することが正しいと言う風潮になり、進行度や予後についてはまだ少しごまかしながらでも、がんと言う事実は当たり前に伝える時代になっていました。しかし、函館に来てみると内地と10年違うのか、告知はしない、良性だけど将来がんになるかも知れないので手術しましょうって言う感じが当たり前でした。移住した当初、内地の感覚で患者さんご本人にがんですと話してしまって、ご家族からなんで告知したんだと怒られたこともありました。その頃はがんについての書籍も少なくインターネットもないので情報がなかなか得られなかったせいもありますね。今思えばしっかり告知してあげれば、ご家族に伝えたいことも言えただろうし一緒に思い出を作れただろうと思います。まだ緩和ケアと言う言葉もなかった時代でした。今は良い時代になりました。


さて、私は東京の病院では人工肛門の患者さんを診るストマ外来って言うのを長くやっていました。実際には以前紹介した尊敬するET(Enterostomal Therapist)のSさんの診察の補助に入っていただけですけどね。函館で就職した時にはストマ外来をやっていたことは内緒にしていました。その理由はめんどくさいということと、Sさんがいない状態でできる自信がなかったためです。ある時、病棟の副師長さんが私に直腸がんの患者さんで人工肛門を作る患者さんがいるけど、東京の病院ではどのように指導していたのですか?って聞かれました。聞けば函館では自然排便法ではなくて、みんな洗腸法を教えることになっていて80代のお年寄りにも洗腸法を教えているとのことでした。看護雑誌とかでは自然排便法が主流で、若い活動的な方に洗腸法をオプションとして指導していると書いてあるので先生の意見を聞きたいとのことでした。そのころの医者は函館だけではなくどこでも人工肛門のケアに興味のある人はいませんでした。とても患者さん思いの看護師さんで困っているようなので私がやってきたことを教えました。自然排便法が基本であること、もっと高さのある人工肛門を作ることが当たり前であると言うこと、実はストマ外来をやっていたこともついうっかり話してしまいました。そうすると目を輝かせながらぜひ東京と同じように指導してあげたい、ストマ外来もやってほしいとのことでした。


特別に外科に入れてもらったばかりの私は今までの先生方のやり方、人工肛門の作成法に異論を言うのは少し抵抗がありました。そこでまずは私の患者さんだけ自然排便法を基本に指導することにしました。患者さんも看護師さんにも好評でした。それから他の先生方の患者さんにもそのやり方をお勧めすることを先生方に話しました。まあ興味がないし自分たちの仕事が増えるわけではないので、すんなり変更になりました。そうすると手術した後の管理も外来でやることになり、ストマ外来を開設する流れになりました。でもETもいないので困ってSさんに連絡したら、なんと会社のお金で月に1回外来のお手伝いに来てくれるようになりました。ありがたいですね。これで道南初のストマ外来が開設されたわけです。さっそく患者会の人たちが来られてみんな喜んでいますと感謝されました。今では道南の各病院でストマ外来ができています。そしてこのETのSさんに啓発されて道南初の認定看護師さんができることになるのです。

やりたくなかったストマ外来、開業した今も毎月、五稜郭病院でやっています。ほんとうにままならない人生ですねえ。

「開業医の父から研修医の息子に送る手紙28」への1件のフィードバック

コメントする