『椿姫』 デュマ・フィス

其の三十五

友よ、さあ飲みあかそう」という「乾杯の歌」で、華やかな第一幕が始まるオペラ「椿姫」、原作はデュマ・フィスの体験に基づく私小説です。
「乾杯の歌」は曲もパーティの場面も本当に華やかでウキウキしますが、COVID-19感染症のせいで、パーティはおろか友と飲みあかすのも無理な昨今の状況です。

19世紀のパリには「裏社交界」というのがあったそうで、美貌かつ教養を備えた「高級娼婦(クルチザンヌ)」が、多くの王侯貴族などのパトロンとつきあっていました。日本の江戸時代における吉原の花魁の太夫みたいなものですね。
太夫といえども花魁は身請けされない限り吉原の中で、当時の社会的地位のある大名や資産家と交流していましたが、フランスのクルチザンヌは娼婦というよりもどちらかと言えば愛人で、国王のクルチザンヌ(公妾)は政治にもかかわるなど、表の社交界にも影響を及ぼしていました。

ジュリア・ロバーツの出世作の映画「プリティウーマン」のビビアンも娼婦ですが、実は境遇が恵まれなかっただけで、それなりの服装をまとえば華麗に上品になり、また生まれて初めてオペラを観劇しても、その芸術性を理解する感性を持ち合わせているという設定になっています。ちなみにオペラの演目は「椿姫」です。この純情で感受性が豊かで磨けば光る、埋もれている美女の発掘というシンデレラ系の筋書きは、少女漫画にありがちですが実は男性が好む設定でしょう。
最近の映画「コンフィデンスマンJP プリンセス編」のヒロインも貧しい孤児の女の子が短期間の教育で、品格と教養を身に付けて見違えるようなプリンセスになります。現実には外見は生まれつきの顔立ちや体形が良ければ、化粧や衣装で美しくできますが、品格と教養はいくら素材が良くても一朝一夕には身に付きません。

映画はフィクションですが、現実の世界では国王の愛人や吉原のナンバーワンの太夫も、実は没落貴族や落ちぶれた武士の娘であったりして、幼い頃にはかなりの高等教育を受けていることが多かったようです。裏社交界でもそれなりの社会的地位の人物に気に入られるには、見た目だけではトップクラスにはなれません。
椿姫の作者デュマ・フィスは、実際に7人もの大金持ちのパトロンを持つ高級娼婦マリー・デュプレシと出会い恋に落ちます。彼女は不幸な境遇で育ちますが、かなりの読書家であったこともあり知性と教養に富み、上品な美貌も備えていたため裏社交界の花形でした。デュマ・フィス以外にも知識階級や音楽家のリストなどの著名な芸術家、高級官僚や貴族の上流階級の男性達と交際していました。彼女は椿の花を好んで身に着けており、「椿姫」は彼女をモデルとした小説です。

椿姫はパトロンたちのおかげで贅沢三昧の生活を送っていますが、たまたま友人に紹介された純粋な青年アルマンに魅かれます。今まで年上の金持ちとばかりつきあっていましたので、同世代の若者が惚れてきたら普通の恋愛もしてみたくなるわけです。
どんなに高級でも娼婦ですから、当然ながら親はつきあうことに反対します。日本でも純情な金持ちの若旦那と遊女の恋愛は、親に勘当されて心中するという物語が定番です。アルマンの父親も息子の将来やアルマンの妹の縁談に差し支えるからと、椿姫に息子と別れてくれるように懇願します。
そうとは知らないアルマンは、急につれなくなった椿姫を恨んだりするわけで、ここは日本の歌舞伎や芝居の脚本にも共通の観客の心に響く心理描写です。ヒロインが亡くなってから本心を知って悲嘆にくれるというパターンですが、西洋のオペラでも昔から人気があるようです。

COVID-19のせいで、歌舞伎や芝居、演劇、オペラなどは自粛になり、観客もですが何よりも役者さんや音楽家の発表と仕事の場が失われ、生きた芸術に触れらない寂しい現状です。消滅することは無いでしょうが、何とか収束というか普通の風邪になってほしいものです。
クルチザンヌは現代に存在しませんが、接待を伴うサービス業は将来も存続するでしょう。ソーシャルディスタンスを保って生活していては人間性を失ってしまいます。この意地の悪い「嫉妬ウイルス」を人類の英知を結集して早々に退散させましょう。

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