1960年に文化勲章を受賞した数学者 岡 潔 氏と
1967年に同章を受賞した日本に評論文化を確立した小林秀雄 氏の
1965年に行われた対談です。
それぞれの分野で新境地を切り開いた傑物同士の対談が面白くない訳がありません。
『人間の建設』という書名が素晴らしいと思います。
冒頭の対話を見る限り、最初からそのテーマでスタートしたとは思われず、
自由闊達に対話を展開してもらって、
編集の段階で対談に通底するテーマとして抽出したものが
書名になったのだと勝手に想像しています。

新型コロナによるパンデミックにより
個人も、社会も、様々な行動変容を迫られ、
否応なしに人間社会そのものが大きく変貌している今こそ、
考えなければいけない重要なテーマなのだと思います。

さて、本題に入りましょう。
両人はまず、最近の芸術がくたびれると指摘しています。
新規性ばかりを追い求め、空疎になっていると…。
本来、「芸術はくだびれをなおすもの」であると言います。
知の巨人たちが、「くたびれる」という表現をしているところが非常に面白いです。
本質を直感的に分からせてくれる表現だと思います。
本書にはこのような理屈ではなく、肌感覚で納得できる
本音の会話が散りばめられています。

驚いたことに
岡氏によれば、数学者は各人、別々の数学を持っているのだそうです。
全ての数学者が同意した一つの数学世界があるのではなく、
各人各様の個性のもとに各数学が書かれているというのです。
各人一人一人、個性が違っているけれども、いいものには普遍的に共感する訳で、
それこそが本当の個性だと言います。
なるほどです。
芸術は究極の個性の炸裂だと思いますが、
いいものには普遍的な共感が生まれるのでしょう。
であればこそ、
「くたびれをなおす」働きが生まれるのだと思います。

こんなことも話されていました。
「知性には感情を説得する力がない」、
「知がいかに説いたって、情は承知しない」のだそうです。
一例として米国の数学者 ポール・コーヘンの業績を挙げています。
彼は、集合論で二つの相反する命題を仮定しました。
その上で、その二つの仮定が無矛盾であることを証明したのです。
知的には成り立つのですが、
私たちの感覚では全く納得できないものです。
これでは「何でもあり」になってしまいます。
でも知的には無矛盾であることが証明できてしまうのです。
誤解してもらって困るのは、
知が情より優れているということではありません。
その逆です。
正に「直感は過たない、誤るのは判断である」の世界です。

「私の世の中で一番わからないことは、世の中がわかることである」
このアインシュタインの正直な発言にも驚かされました。
こういう意味です。
特殊相対性理論、一般相対性理論は
世界を説明する欠陥のない一つの幾何学像であり
その正しさは理解できるが、
どうしてそれが分かってしまったのかは
自分でも説明できないということを言っているのです。
アインシュタインが極めて個性的で、情緒豊かな人だったことと
無関係ではないでしょう。

私は、知の飛躍には情緒的なものが不可欠であると思えてなりません。
これからの混迷の時代に
私たちは、知に頼り切るのではなく、
むしろ情緒を大切にすべきだと思います。
「人間の建設」はそこから始まるのです。

岡氏のこの言葉も印象に残りました。
「直観と情熱があればやるし、同感すれば読むし、そういうものがなければ見向きもしない。そういう人を私は詩人といい、それ以外の人を俗世界の人ともいっておるのです。」
小林氏ではなく、数学者の岡氏がズバリと言い切るところが実に痛快です。

世の中が動くのは、情緒によるような気がしてきました。
となれば、世の中を動かそうとする人間は、
情緒豊かな詩人でなければなりません。
この時の詩人は、異次元の含意があるようなのですが、
その解説は別の機会に取って置きましょう。

コロナ禍にあって、昨年、歴史的な大ヒットとなった映画
『鬼滅の刃 無限列車編』がTV放送されました。

https://kimetsu.com/anime/mugenresshahen_movie/

主人公の竈門炭治郎の情緒、魂の力に
日本中が共感したのだと思います。
10月10日からTV放送が決定しました。
しっかり味わいましょう。

思えば、『鬼滅の刃』に限らず、
アニメの世界は、「人間の建設」にとって大切な情緒、魂の世界を
高らかに謳ってきたような気がします。

さて、まとめです。

『鬼滅の刃』こそ、「人間の建設」の最良の教材である!

(岡さん、小林さん、いかがでしょうか?)

(2021年9月29日)

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