名人がテーマです。
いろんな分野で名人が存在するのでしょうが、
本書は弓の名人の話です。
弓道で思い出すのは、
オイゲン・ヘリゲル著『日本の弓術』です。
「的を狙わずに中てる」という弓術の深い世界を
第162話で紹介しました。
http://tunagaru.org/akiyama-essay/162

ヘリゲル氏の師である阿波研造氏の人間離れした名人振りが描かれていますが、
『名人伝』の世界はそれをも遥かに凌駕しています。

紀昌という男が、天下第一の弓の名人になろうと
志を立てたところから物語が始まります。
その彼が最初に取った行動は
当代一の名人 飛衛に師事することでした。
この戦略は極めて正しいといえるでしょう。
どんな分野であれ、第一人者に直接学ぶということは
「巨人の肩の上に立つ」ことであり、
現生人類のホモ・サピエンスが今日の繁栄を築けた理由でもあります。
http://tunagaru.org/akiyama-essay/132

名人 飛衛が弟子に指示したのは、「瞬きをしない」訓練でした。
その単純な訓練(修行?)を2年かけて習得します。
何と、彼の睫毛と睫毛との間に小さな蜘蛛が巣をかけたそうです。
次に飛衛が弟子に課したのは、徹底的に視る訓練でした。
「小を視ること大のごとく、微を見ること著のごとく」なったら再来するように指示しました。
その訓練は3年に及びました。
最終的には、虱が馬のような大きさに、人は高塔に、
馬は山に、豚は丘に、鶏は城楼に見えるようになりました。
そして、窓際の虱に弓矢を射れば、虱の心の臓を貫いて、
しかも虱を繋いだ毛さえ断れなかったそうです。
目の基礎訓練に2年+3年、計5年もかけたことになります。
その基礎力を以て、その後は一気に上達し、
あっという間に師と並ぶまでになりました。
5年間という基礎力養成期間が重要だったのです。

作者が何気なく書いたかもしれない、
この2年と3年の期間に私は思うところがあります。
大学院教育の期間と全く一致している点です。
師が弟子に課した訓練期間は
修士課程(前期博士課程)の2年と後期博士課程の3年にピッタリ符合していると思うのです。
この2年、3年、計5年間の大学院の教育制度は世界共通なのだそうです。
博士イコール名人ではありません。
名人になるためのスタートラインに立つまでに
博士課程に相当する基礎力養成の5年間が必要なのです。
これは、もちろん弓の世界に限ったことではなく、あらゆる分野に当てはまると思います。
しかも全世界共通です。
この2+3=5年の原則は覚えておいて損は無いでしょう。

さて、物語は続きます。
飛衛から全てを学んだ紀昌は次なる名人 甘蝿(かんよう)老師に師事します。
その老名人は、弓を使わずして大空高く飛ぶ鳥を撃ち落してしまいます。
その師のもとで9年間修行を積んで、
最終的に紀昌は天下一の弓の名人になりました。
ここでの9年間の意味を私は知りません。
(先の博士課程の5年間のようなものがあれば、誰か私に教えてください。)

天下一の名人となった紀昌の境涯は意外なものでした。
弓を目の前にして、
「この器具は何ですか?」と真顔で聞いたというのです。
名人にしてその主たる道具を忘れてしまうという境涯です。
この辺りは、中島敦氏の独特の深い世界観が見事に表されていると思います。
そして、「その後当分の間、その都では、
画家は筆を隠し、楽人は瑟(しつ)の弦を断ち、
工匠は規矩を手にすることを恥じたということである。」と結ばれています。

「能ある鷹は爪隠す」どころの話ではありません。
没我の境地とも一味違う、真の名人の域を学びました。

その上で確信するのは、
作者の中島敦氏こそ、名人だったという点です。

(2022年3月23日) 

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