247. クラウドファンディング 論考

5/12 クラウドファンディング(以下、クラファン)をスタートさせました。
何と、5回目です。
クラファン主催経験者のほとんどは、
2回以上チャレンジする個人は殆どいないそうです。
クラファンは準備段階からかなりの労力を要します。
企画そのものの社会的有効性の吟味や
伝え方の工夫、デザインの洗練さも重要です。
期間中のプロモーションはもちろん、
成功した場合でも、リターン品の準備やお礼なども手間暇がかかります。
1度経験してみると
満腹飽和してしまうという感じになりますから、
もう1回やろうという気になれないのが普通なのです。

にもかかわらず、私が5回目のチャンレンジをしようと思ったのは
「月刊 医療経営士」の取材がきっかけでした。
「クラウドファンディングで病院の夢を叶えよう」という特集で
過去4回の経験を買われて選ばれたようです。

「『お金をください』とお願いするのが申し訳ない」
といった心理的な障壁はあると思います。
それは、支援「する側」と「される側」を
貸し借りの関係のように捉えているからでしょう。
人間関係の棚卸をしているようなものと表現する人もいます。
しかし、クラファン5回目の私に言わせてもらえば、
本来はそうではないと思います。

修行僧が行う托鉢では、お布施をしてもらってもお礼はしません。
むしろお布施をする側が「ありがとうございます」とお礼を言います。
僧侶の姿にお布施の心を想起させてもらったことへの感謝の表出なのです。
クラウンドファンディングが托鉢であるとまでは言いませんが、
「社会を良くしようと頑張っていることに対して
応援したくなる気持ちを引き出す活動こそが、
さらに社会を良くしていくことにつながるのだ」
それくらいの強い思いがあっても良いのではないでしょうか。
昨今のクラファンの台頭は、
社会の成熟の反映だと感じています。
クラファンは、主催者の社会に対する問いかけです。
「こんな社会はどうですか?」という深い問いなのです。

最後に「今月の言葉」に選んでいただいたコトバを紹介して
締めにしたいと思います。

「月刊 医療経営士」p.9
「月刊 医療経営士」p.9

たとえ失敗したとしても、社会に問いかけた事実は残ります。
それを見ている人は必ずいますし、
その志を受け取って何かアクションを起こす人が出てくるかもしれません。
失敗したから意味がないということは絶対にありません。
プロジェクトの成功はもちろん大切ですが、
チャレンジしてみることがより大切だと思います。

今回も私は、社会への問いかけをしているつもりです。
偉そうなことを言っていますが、
失敗して良いはずがありません。
それは、社会が私を裏切るということではなく、
成功しない場合の私が社会を裏切ることになるのだと感じています。

スタートから1週間
All or nothing方式なのに、かなり出足が悪いようです。
皆さん、どうぞ宜しくお願いします。

しまった!
また、クラファンの中身を宣伝するのを忘れてしまった~。

ライフイベントで現場を離れた医療者が地域で活躍する支援-2021

(2021年5月19日)

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