前回、稀代の革命家にして、不屈の魂の持ち主
オーギュスト・ブランキ(1805-1881)を紹介しました。
文字数が膨らんでしまって
本当に言いたかったことに触れられませんでした。
ですから、今回は続編です(というより、今回が本題です)。
ブランキが過酷な獄中生活の中で
「永劫回帰」の思想に到達したことを書きました。
「永劫回帰」と聞いて、皆さんが真っ先に思い浮かべるのは
フリードリヒ・ニーチェ(1844-1900)でしょう。
『ツァラトゥストラはかく語りき』の出版が1885年です。
一方、ブランキが『天体の永遠』を出版したのは1872年です。
私が注目しているは、その同時性です。
フランスで細々と出版されたブランキの書をニーチェが知るはずもなく、
ニーチェが『ツァラトゥストラ…』にまとめ上げる前に
多少発言していたかもしれない言説を
情報遮断された監獄にいたブランキが知る由もないのです。
「永劫回帰」の思想が、ほぼ同時期に別々の個人によって到達されたことになります。
世界的な発明、発見が同時期に、個別になされる事例が散見されます。
ライプニッツ、ニュートンによる微分・積分の発見は好例でしょう。
歴史を変えるような大発見、大発明でなく
小さなものに至っては数え切れないでしょう。
私が関与する医学の一分野でも稀ではありますが見られます。
盗作やスパイ行為があるのも事実ですが、それだけではないように思います。
発明、発見の同時性の問題です。
そうした現象を深く研究した生物学者がいます。
ルパート・シェルドレイク(Rupert Sheldrake)です。
彼は、形態形成場(形態共鳴 Morphic Resonance)仮説で
そうした現象を説明しています(シェルドレイクの仮説ともいいます)。
「直接的な接触が無くても、ある人や物に起きたことが他の人や物に伝播する」とする仮説です。あくまで仮説です。
彼を胡散臭い学者と見るかどうかは個人の判断によりますが、
TED Talkの「科学の10のドグマ」を視聴すると
私自身の常識も時に疑ってみるべきだと思いました。
https://jimakudaio.com/yt?v=1TerTgDEgUE&lang=ja
時間のない方のために「科学の10のドグマ」を羅列しておきましょう。
- 「自然は機械あるいは機械的である。宇宙は機械であり、動物・植物も機械であり、我々も機械的である、実際に我々は機械である。」
- 「モノには意識は無い」「宇宙全体は意識の無いモノから作られており、銀河の星には意識などなく、惑星にもなく、動物にも植物にも無い」
- 「(モノには意識がなく)自然の法則は固定している」「自然の法則はビッグバン当時のものと同じで、そして永久に同じである」
- 「モノとエネルギーの総量は一定している」
- 「自然には目的は無い」「すべての自然には目的がなく、進化プロセスにも目的や方向がない」
- 「生物的遺伝は、物質的なものである」「すべての受け継いだものというのは、遺伝子的なものであるか、遺伝子のエピジェネティックな変化によるものであるか、細胞的継承である(物質的なものである)」
- 「記憶は脳の中にある。物質的な痕跡として」
- 「心は頭の中にある」「すべての意識の働きは脳の活動であり、それ以上のものではない」
- 「テレパシーのような心霊現象はありえない」「考えと意図は、離れた場所において何の影響も及ぼさない(心は頭の中にあるから)」
- 「機械的医療が唯一効果のあるものだ」「本当に機能するのは機械的医療である」
第251話で物理定数に言及しました。
https://minnadekenko.com/social/251/
その中でも代表的な光速Cや重力定数Gの実測値が
変動していたという事実は衝撃的でした。
また、「記憶は脳の中だけにある」という一般的な考えも
真実とは限らないと感じました。
記憶のみならず感情も含めると
脳内の物質だけの反応では説明できない気がします。
そして、発明、発見の同時性やシェルドレイクの仮説のことを考えていたら、
第181話で紹介したゼロ・ポイント・フィールド(ZPF)を思い出しました。
http://tunagaru.org/akiyama-essay/181
世の中には
現代科学では解明されていないことが
まだまだたくさんありそうです。
2021年11月24日